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生きる為に書くだけの場所

クソみたいな人間という素敵な女性の話


日本の話じゃないんだけど.....

アメリカで暮らすある女性の涙の動画を見て私まで感動した話を書きます。
彼女は「私はクソみたいな人間です」と号泣しながら怒ってた(彼女自身に対して)

理由はね、
アパートの上の階の人についての話。

あ〜もう!!毎日毎日、家の中でボーリングでもしてるのですか!?!?!」と騒音について怒りを持っていたそうです。
我慢していたけどとうとう耐えきれず音を録画と録音してそれを持ち
文句を言いに行きました。

するとその家から出てきた女性は車椅子で手が小刻みに震えていたという。

そして、その車椅子の女性から先に言葉はありました。


「初めまして。私の車椅子の音は煩く響いていないかしら...
恥ずかしながら見ての通り手が震えているのはパーキンソン病のせいなの。
持っているものを床に落としてしまうから音が響いて迷惑がかかっていなければいいんだけど.....以前は1Fで暮らしていたんだけど段差が大変でエレベーターがあるほうが便利だとわかりここへ引っ越してきたの。1Fの時は隣の人から壁を通じて床音が響いていたみたいで怒られたりして迷惑をかけちゃったの....」

文句を言いに行った女性は驚きを隠しながらも咄嗟に出た言葉。

「全然!!私は大丈夫よ!何か手伝いが必要な時は時間関係なくいつでも言ってください」と言ってその場を去ったらしい。

家へ帰ってきて.......大号泣。

自分の心がいかにクソで視野も心も狭かったか、他人に対して想像や思いやりの無い人間だったかを世界中の人達に知ってもらいたくてこの動画を撮ってるの
そう大号泣しながら話している動画でした。

私は感動して観て号泣。何て彼女の心は美しいのだろう。
大号泣して自分に腹を立てているその自然体の姿が美しく眩しかった。
こういう他者に対しての想像って凄く大事だと思う。
他者を詮索してるみたい?と思わず、ほんの少し想像をしてみるという意味で。


例えば子供がギャン泣きしていたり体に傷やアザがあると少しだけ想像する。
家の中にいても外から子供ちゃん(時々は犬ちゃんも)の長い泣き声が聞こえると
外出もできない今の私がカーテンを開けてベランダへ出ようかと思う事が時々ある。

外出が出来ていた頃は迷わず
警察を呼んで見に行ってもらった事が何度かあった。
実際に体に怪我をしてる子供を非難させて下さった事があったり。
おせっかいでも、大袈裟でも通報して良かったと思った。あの子は今どうしてるかな?ふと思い出すことがある。


他人や他者の家庭内に関心を持たず無関心でいることが自己防衛になる時もある。
東京に来てからそれを何度も何度も実感した。
私はおそらくDNAが関西だからか?(いや、それは偏見)
おせっかいなのかも?

外出ができなくなった今の私でも電話で済むなら
結果として「何ともなかった」で済む誰かの安全と安心を選ぶ。
私が暮らしているのは単身者マンションなんだけど中には明らかに同棲してる?
カップルがいたりする。本音を言えば実はそれを悪いとは思っていない。

楽しそうな声は煩くてもいいけど、
何年か前に女の子の悲鳴を聞いて慌てて通報した時に
警察が男性を連れて行ったんだよね.....
その後どうなったかはわからない。
(私自身が殴られ蹴られた数年間があったから男性の力には絶対に勝てないとわかるから無視できない思考になってしまったんだと思う)


でも「の場が事件現場になる前で良かった。」

おまわりさんがそう言って下さった時に心からホッとした。

目の前で実際に他者に手を貸す瞬間が一番だけど
動画で泣いていた女性を見て私も改めてちょっとした「想像力」を持ち続けよう。
そう思ったので書くことにしました。

今朝も早起きし過ぎました。
1日中家の中でジッとして体力を使ってるわけじゃないから睡眠時間が少ないのは
大問題じゃない。そう考えるようになっています。

イイネ


わぁ....あと2日で9月なんだね。
今年も残すところ4ヶ月。
クリスマスまで3ヶ月と26日🎄

丁寧に生きて心の綺麗な人の文章を読むと心穏やかになる。
そういう方々の文章に救われています。
私には両親がいないけれど生きていれば両親は80歳。
同世代の方の文章を読むと優しい気持ちになれる。


最近は眠れない時にTikTokで見れる裁判ライブ放送(主にアメリカ)です。
いろんな局が裁判をライブ放送しています。
私とは無関係だけど、退屈で眠くなるかな.....と期待しつつ見てる。
殆ど犯罪がらみだけど、道ですれ違っても極悪な人には見えないような女性がいたりする。悪そうに見える人が刑事さんだった、という事はよくある話だけど
良い人に見える人を私は自分の経験から信じない。

誰からも悪く言われず真面目で程よく冗談も言えて他者に愛想がよくきちんとしてる。
身なりや言葉、誰に対しても対等に挨拶する。気配りができるなど。
何より他者に優しい人だった。
そして、そういう人が私が選んだDV元夫だった。


稀だと言われたらそうだろうけど、その後の私の人生の中でも
こういう人達に何度もがっかりした経験が重なって自分が人を見る目が
なかったんだ.....ないんだ.....そう考えて自分を責めて終わりにする他なかった。


警戒をする事が詐欺に遭わずに済むので防犯面で言えば自衛になるけど
人間関係では四方八方が壁だけで足りず地下でじっとしすぎて孤独だ。

ブログを読んでいると私自身が何が面白いと感じて何に悲しくなって
何に対してイラッとするのかがはっきり俯瞰でわかる。
だから毎日私が健康で座っていられなくて文章を書けなくても
読むだけでもイイね。

鬱。PTSD。バーンアウト症候群。空の巣症候群。
体のどこかが痛い日はほぼ寝たきりになってしまう。
気持ちがブルーになりすぎてほぼ1日泣いてる日もある。
トイレに入っただけで涙が止まらなくなるなんて変でしょ?
常に頭の中にタスクがいっぱいで考えてしまう日もある。
とにかく24時間。頭の中が忙しい。
喜怒哀楽が入れ替わり立ち替わり襲ってくる。


過去に生きてはダメだと教えてもらった事がある。
この3年は特に過去に戻ってしまう日が増えた。

ドクターが言うには....
過去を思い出さないようにしすぎて頑張りすぎましたね。

考えない、思い出さない、そうやって頑張る事はないと言って下さって

少しだけ楽になった。

 

頭の中で一人で考える時間が苦しいとか外出が無理だとか他者に会うのが辛いなら
それを文章にして吐き出してみるのは?
そう言われて再びブログを始めた。

でも見て下さる方々が不快に思うかもしれません。
ごめんなさい。どうか許してください。
だから、閉じて二度とここを開かなくなっても大丈夫です。
みんなには見たいものを見て読みたいものを読んで幸せで過ごしてほしいから。

あ、でもね、私は。
今朝、笑い転げるブログの文章を読んで
せめて今日1日はあの文章を思い出して笑おう。
っというか笑うと思う。

残念ながら......

誰にもこの笑いを言える人がいないからここに貼らせて頂く事にしました。
本当に笑い転げました。


yasaistory.hatenablog.com

子供の前での甘えを後悔してる

 

色々な方々のブログを今朝は早朝から読ませて頂いていました。
なるほど.....そうか....そういう事なんだね.......わかる.....それは私にも思い当たる.....反省

私はおそらく自分の考えや判断や意思と行動力がなければ生きてこれなかった。
その裏側を考える時間が今更になって沢山でてきた。(遅い.....)
実家が苦手な人が多いけれど、実家も頼れる両親もいない私は羨ましい悩みだと思ってた。でもなぜ苦手なのか?それを読んでみると、大きく理解出来る事があって
あぁ、、私の娘も私のそういうところが嫌だっただろうな。
私のコレ!という1つの原因だけではなく積み重なってしまった結果だった。

私はとにかく娘の前で「甘え」があった。
唯一の家族であるが故に甘えというのが大前提にあった。
それに気づいたのは、絶縁と言われてから随分時間がすぎてからだった。
上手く説明出来ないけど、家族だから許されるという基準が
自分勝手な解釈だったこと。

娘は愚痴を言うと必ず私に「愚痴ってごめんね」と言っていた。
「何で謝るのー!そんな事言わなくていいよ!辛い事をママに言ってくれる事は嬉しいよ。」
そう言ってた。

裏返せば、娘の感覚では愚痴は家族であっても言うべきじゃなかったのかもしれない。
勿論、場と回数や内容にもよるんだろうけど
私にはそもそも娘に会えると嬉しくて嬉しくて甘えが大きくあったはず。
こんな私で恥ずかしかっただろうな。
今だからわかる事が沢山沢山ある。

社会的に言ってはダメな事は言わない。
人の気持ちを考えない事は言わない。
人を傷つける事をしない、言わない。

この基準は、誰だったか?
それは全部「私」だったのだと思う。
私ならこうだ。がはっきりし過ぎて娘は嫌だっただろうな。
絶縁となった時に、娘はママの娘で良かったしママに育ててもらって感謝してる。これは本当よ。と言ったんだけど、それは、私が悲しまないように言ってくれた言葉だと思う。優しい子だ。だからこそ絶縁と私に言うのは本当に辛かったと思う。


もし、娘を隣の人。会社の人。
そんな風に俯瞰して一人の人として考えていたら甘えは無かっただろう。
思った事を言わない関係であったと思う。
娘が社会に出てからは、そう見るべきだった。
社会に出れば自分の育った家庭や親について他者と関わって初めて理解する事が
良くも悪くもあったのだと思う。
自慢できるような親ではないという事だけは私なりに理解していた。
でもそれは、理解していたというより、投げやりに見えたかもしれない。

私は「どうせ」という言葉が嫌いだった。
普段も使わない。
しょーもないプライドがあったからかも。
何より、言われたほうが返答に困るだろうと思っていたから。

私は娘の前で極端だったと思う。
娘の前で、親だったり人生の先輩だったり、友人だったり幼児のようになってしまったり。ずっとどんな場面でもどんな心境でも人生の先輩として親であるべきだった。
家の中でどちらが親なのかわからないと思う事が年々増えていた事が思い出される。

何もかも今理解しても思っても後悔しても遅い。全てが遅い。
それでも今日も思う。

娘が1日を健康で事故に遭わず無事でありますように。
笑顔になる瞬間が1秒でも増えますように。
周囲の人達に愛される1秒がずっと続きますように。
頑張りすぎて疲れたりしませんように。

生きるヒント

www.netflix.com

以前の私なら絶対に選ばなかった題名とテーマのドラマを今見始めた。
まだ中盤だけど人と人がいかに大切なのか。
明日じゃなくて今日の積み重ねという事。
家族という関係。
頭ではわかっていても私にはとても難しい。


このドラマの舞台となっている韓国のソウルは日本で言えば東京だと思う。

日本で言えば、東京で暮らして大手企業へ車で通う。
それは、自分がそうなりたいと思って始めたとしても
何がどう変化して何を思いどう生きるのか?
予定通りにいかない事のほうが人生には多いこと。
他者の目を意識して中身はゼロ?
側ではなく内側がいかに大切なのか。

誰しも大きなお金を手にしたい。
良い場所で暮らしたい。
都会で暮らす事への憧れ。
家がほしい。
すごいねーと言われる企業でステータスクラスの役職につきたい。
家族にはお父さんすごいねーと言われたい。
子供から尊敬されたい。
妻には偉そうに言いたい。
部下より上の位置にあり続けたい。
同期を蹴落としても自分は生き残ることが正解。

ドラマの中に心に残るセリフがあった。

「家族を守るという事は自分が生き残る事だ。」

ドラマの中で
同期が酷い場所への左遷になる。その同期は自殺未遂となるが
自分には何も出来ないと伝え自分に言い聞かせる箇所があった。
毎日、上司に媚びながら心を鬼にして仕事を続ける。
でも自分が左遷されてみて色々考え出す.....
その後も人生は休む間もなく転がり動き続ける。

目標や予定していた通りに人生が動いてる人ってどのくらいいるんだろう?


私は大学に入った頃から他者と関わるのが得意になった。
これは天才か天性だと思ってた。
私が知らない人でも私を知ってる人がいるような時期があった。
そして天狗になってた。
誰よりも幸せになってみせると意気込んでた。
勉強に仕事に周囲との関係。友達との関係。日々の充実について。

私は当時、子供の頃から一番ほしかった「温かい家庭」を手にいれる事を目標にした。

仲の良かった友達の中で一番最初に超豪華なウエディングドレスを着て
違う場所で3回も結婚式をし新婚旅行に約1ヶ月。
私が最も望んだ「母親」になり高級住宅街と言われる場所での生活。
誰もが羨むそんな位置に来た。
なぜだか私はそこに居ると思っていた。

蓋を開けたら元夫からのDVと舅姑から暴力を毎日受け
小姑からは毎日の暴言に耐える日々。
いつも首から下はアザだらけだった。
それでも笑顔を絶やさず子供の将来の為にこのステータスを捨てないと
頑張ってた。
それは頑張っていたのではない。

ただ、執着してしがみついていただけ。
大きな家の中で私は無力で小さな存在で毎日孤独だった。

私が子供の頃から温かい家庭環境に恵まれず
自分の子供にだけは温かい家族の中で成長してほしい。そう思っていた。
娘からこの環境や両親を奪ってはいけない。
だから私が我慢をしなくては。
そう思って耐えた。
それは大間違いだと理解できるまで随分時間がかかった。

結局、私が子供の為に何が出来たかというと絶対にあの場に
残してはいけないと手を離さずに連れて逃げただけ。
ただ、今でもそれは正解だったと信じてる。

私だけが出れば娘は同じめにあっていたかもしれないから。
元夫が再婚したと風の噂で聞き、安心して日本へ戻ったが
再婚した相手とも数年で離婚したと聞いた。

私は娘の手を離さなくて本当に本当に良かった。そう確信できた。
娘はとにかく頑張ってくれた。
でも私の手を離して離れてしまった。
つまり、それが私のした事の選ばれた答えだったんだ。
ただ娘の判断は間違いではないと今は思う。
いつか私がいなくなっても自立した生き方をしてもらえるように
育てたと思うから。
十分どころか200%以上私に感謝してくれた子供だから。

そして選択は彼女の人生だから。

このドラマを見ていて思うのは、幸せは良い家でも多くのお金でも
ステータスでも無いということ。
お金は邪魔にはならないと思う?
それが人生を思わぬ方向へ進めてしまう事もあると私は実感した。

母子家庭だからと娘が社会からバカにされないようにとにかく頑張った。
社会から孤立しないようにと私は必死で良い生活環境を作り続けた。
誰の為だっただろう?
その考え自体が間違いだったのに。
カナダでの数年間の生活と「日本人として首都に住んでみる?」
そんな気持ちでスタートした東京への移住。

私達には帰る場所が無い。
東京での暮らしが辛かったら長く暮らした京都へ戻ろうと思っていた。
今では京都が外国のように感じる。
日本人なのに日本の首都である東京での暮らしは甘くない。
すれ違う人達を見てそれは感じない。
でも実際は?
私のようにちょっとしたキッカケで崩れ底辺までくる人達は大勢いる。
自分はそうはならない。そう信じる事は悪くないと思う。
登り詰める人達が大勢いるかどうか?
何が成功で何が失敗かはこの年齢と経験があって理解できるようになった。

目標や計画は想定どおりいかないなんて若い時は考えなかった。
私はとにかくポジティブに生きる。何事も前向きに考えて実行あるのみで生きる。
それが人生の全てで私を正しい道へ導いてくれると思い込んでいたから。

ドラマの中で50代になってからの再就職の難しさが描かれてる。
家族との関わりの難しさも描かれてる。

≪≪≪≪≪
実は.......深夜にこのブログを描き始めている途中に東京で大きな地震が起きて
久しぶりに私は口から「怖いー!」と無意識に出た。
私が暮らしている場所は震度4と出たけれど長く揺れてすぐ立ち上がれなかった。
震度5弱に限りなく近かったような体感だった。
普段多い震度3程度の地震とは明らかに違った。

そして......中断している間に、色々考えた。
地震で今の家すら失ったら?
大雨で家財全て失ったら?
熊本のようにどこかの家が爆発したら?マンションごと爆発したり
火災になったら?
ひとりだとこういう時に気弱になる。


当然、自然災害の覚悟はあるものの、心の中にそんな将来の計画はない。
生きる過程で、自分がどれだけ頑張っていてもポジティブであっても
想定外の事が起きると私はこれまで何度も経験しても慣れることが無い。

病気もそう。
私が引きこもりになるなんて誰が想像しただろう?
誰よりも自分が一番驚いてる。
マンションの1Fにゴミを捨てるのも緊張しながら行く。
人混みに行けなくなった。電車にまともに乗れない。
やらなくちゃいけない事全てが大渋滞。

今の私は暇だからドラマを見て色々考えているけれど
毎日時間に追われて忙しい人はドラマどころでは無いと思う。
実際、私が働いていた頃は睡眠時間すら多く取れなかったのだから。
勿論、ゲームやテレビどころでは無かった。

自分には無関係だと思うようなドラマ(創り出されたもの)であっても
自分なら?と生きるヒントを得られる事が1つでもあれば
観る時間と考える時間は無駄にはならないと今は思う。


10年後の自分ではなく10年前の私に言ってあげたい。
ドラマを観て想像する事から何かを得られるよ。って。

どんな事でも想像力は財産だよって。

何ら変わらない1日


食べることが面倒。
死なない程度に栄養を摂取。
ここ数日、天候がコロコロ変わったり
台風が近くを通過したから?喘息が辛い。
横になると苦しいので頭を高くしてほぼ座った姿勢で眠る。
今年に入ってから最も不思議な事の1つが
食べ放題が大好きだった私が食べれない日がくるなんて想像もしなかった事。

毎日お水交換とお掃除する犬くんの遺骨の前で
今朝、ふと口にした言葉が頭に残ったので書いてみます。

今日は8月12日だよ。
今日も1日よろしくね。
地震が来てもコロンッって倒れないよう(遺骨の入った壺とそれを守る外側)に神様に守ってもらおうね。どうかお守りください。
今日もお姉ちゃん(娘)が何か困っていたり悲しんでいたら
近くにいってそっと助けてあげてね。

ママは今日も何も変わらない1日だと思うけど
んー、何も変わらない1日があるって本当はこれが「幸せ」ってことなのかな。
どう思う?


1時間後の私がどうなってるかなんて誰にもわからない。
当然、明日や来年の事も。

 

数年前迄は明日の予定、1週間後の予定。1ヶ月の予定があった。

1年後の予定。5年以内にする事まで考えてた。
何なら10年後の事まで。

でもね、最近は特に思う事がある。
あの一生懸命考えた計画や目標の元に行動していた日々は
いったい何だったんだろう????と。
勿論、決してあの頃の自分の時間は無駄にはなっていないと思う反面、
「今」の大切さを見失っていた(る)のかな。
そんなふうに感じてる。

今のような日々になってから自分を正当化するのは時に惨めに感じる事がある。
毎日悲しい。でも笑う事に罪悪を感じる。
頭の中ではこれをして、あれをして.....
そんなふうに計画してる。
ただね、行動に移せない自分が許せなくて1日中落ち込むだけで終わってしまう。
頭の中は大忙しなのに体は動いていないから
夜に熟睡ができなくても当然の罪だと思う事でバランス調整をしてみる。
こんな風に考えていられるのは私が暇だからだよね。

みんなは暑くても寒くてもやらなくちゃいけない事を頑張ったり、
一生懸命働いたり勉強してる。家族の為、自分の為に。
私は何でこうなってしまったのだろう?
心身が疲れたら嫌でも眠くなる。
だから私が熟睡できていない事はその答え。

アラーム音で起きて、眠くても必死で起きて準備をして
フラフラでも仕事へ向かっていた日々が
まるで何百年も昔の自分だったような感覚になることがある。


歳を重ねると赤ちゃんに戻っていくと聞いた事があるけど
2時間おきに目覚める時に、私は生後間もない授乳期の赤ちゃんに戻ったの?と思い
フッと面白い感覚になる。

二か国語以上を話す人の脳の活性化についての文献を読んで
いや......私の脳はストップしちゃったよ?
思わず突っ込んだよね.....
日本語も英語も難なく聴けて話せるけど?
脳が活性化どころか静止してる。

私が若い頃にやった事がなかったゲームをこんな生活になってから
するようになったのはね、老化防止と言い訳をして始めた。
Modを作る為のプログラミングも結構面白い。
そういう時間を過ごしてると......
呑気でいいよね、私のこの生活ってさ。
社会に叩かれても石を投げられても仕方がない程、お気楽な日々だよね。
明日パソコンが壊れたら何する?
スマホもいつまで頑張ってくれるのかな。

でもね、今朝は思ったんだよね。
何ら変わらない1日があるという事は幸せに感じなくちゃだなって。
でもね、私の心の中では、本当はね.....
そんな風に自分自身を正当化したいだけなんじゃないの??

ポジティブに考える事を罪悪に感じてる。

信じる

 

8月に入ると戦争を体験した人達が登場してきて
二度と戦争はダメだと証言してくださる場面が目に入ってくる。
毎年そうやって日本の国は戦争をしちゃダメと念押ししている事を
知っているのはこれから日本で生きる子供達に引き継ぐ為だと
私は解釈してる。

私の娘は海外の学校で(日本でいう小学校、中学校1年迄)で教育を受けたので、
日本は悪い事をしたと学んでる時間がある。
その後、日本の教育でアメリカが悪いと学んでる。
数学などと違い、歴史の勉強についての教育は国からの洗脳だと私は感じた。

私自身は日本でいう幼稚園くらいの頃にアメリカで少しだけ暮らした。
その時に受けた人種差別を理解したのはそれから何年も後。
日本を出て他の国で生活をして初めて自分の母国を意識する。
大人になってから暮らしていたカナダで人種差別を体感し目の当たりにして
人の心の痛みについて必要以上に考えたり発言する事が増えた。

ゲームをしていると日本語で韓国人を罵る中国人を罵る人が多い。
ヨーロッパやアメリカ大陸の人が聞いたらそれはただの笑い話。
このアジア人同士の問題は根の深い問題。
決して政治だけの問題じゃない。

楽しい時間を持ちたくてゲームをしても心が萎縮する瞬間になると悲しくなる。

気持ちを変えてインスタを開いて限りなく可愛い動物達を見まわる。
感動したり癒されたあとに、それがAIだとわかる途端に
崖から蹴り落とされて下に向けて大きな石を投げられた感覚になる。

最近ね、古い古い韓国のドラマを見てる。
彼女は死者が見えて会話もできるんだけど、
中には怖い幽霊がいて辛い時がある人が主人公。

でも救いは愛する人の体の一部に
触れると悪い幽霊も良い幽霊も消えるの。
その女性は好きな人の事を「シェルター」と呼んでる。

日本でも海外でも現実の「シェルター」を経験した私。
理由は全く違うけど、人が生きる為には
心が安心できる場所(心身共)が絶対に必要だと今でも思ってる。

ドラマや映画は作られたストーリーだという大前提だ。
それでも観る人の今置かれている環境や心境によって違う感動を受ける。

私は無宗教なんだけど、
何となく天国があるように思うの。
だから大事な大事な家族の犬くんも今天国にいると信じてる。


自分を産んでくれたママや兄弟と走り回ってると信じてる。
痛みも苦しみも辛いこともなく大好きなものを食べて
新しい友達が出来てるとも信じてる。

だから私は生きなくちゃ。

自死を選んだら天国に行けないと信じてるから。
私が天国へ行かないと犬くんと再会できないからね。

目に見えるものより見えないものを信じたいのは
現実逃避と言われるかもしれない。
細い糸かもしれないけれど、私はずっとその糸にしがみついてる。

無とは



ブログを開くとダイレクトに伝わってくる......

毎日を丁寧に生きている人。
一生懸命に生きてる人。
人を利用してるだけの人。
お金の事ばかり考えている人。
他人に寄り添う事を考える人。
自分の事しか考えていない人。
自慢話ばかりしている人。
病の話。
愚痴ばかり書いてる人。


どれが正解でどれが間違いとは思いません。
私が再びブログで想う事を何も考えずに書こうとしたのは
誰かに読んでほしいからというより
私は明らかに孤独な日々で
誰とも話していない自分が文字をタイプするだけで
何かを得られるヒントになるかもと思ったから。

公開日記みたいなものです。

数年前、私はある人の提案とご厚意でHatena Proに登録して書かせて頂いていました。
その頃も毎日思った事を書き綴っていました。
辛い時期を守るように助けて下さった方々には
私の頭がボケるまで永久に感謝し続ける。
昨日何食べた?と一瞬忘れても
その当時に私を誠心誠意守って助けて言葉をかけて下さった方々に
して頂いた事は忘れたことがない。

平凡に平穏で笑顔が戻った時間は数年しかなく短かったけれど
でも私はそれまで無かった幸せな時間と暮らしていました。

そこに至る橋になった場所と壁を作ってしまうことになりました。
1つが原因ではありませんでした。
疲れをとるためのブログが疲れるようになっていました。
それで自分からその場を閉じました。

元々、私は絶えず辛いを引きずって持ち歩いていました。

日常生活で誰とも会話をしない生活がくる事を想像できなかった自分が悪い。
かと言って友達になろうと声をかけてくださる方と
対話ができないでいる現実。
ゲームを一緒にしようと誘ってくれる人に
今日はちょっと.....と言い続ける自分に腹がたつ。

全てに壁を作って自分で孤独の中に閉じ込めてる。

文字は音もない。
手も足も出てこない。
姿形が見えるわけでもない。

私は文字の暴力にも疲れ、姿形のあるものにも疲れ。
何もかもが自分のわがままに思える。

地震で家が揺れると「怖い」と感じる。
あぁ、私はまだ生きたいと思ってるんだな、そう感じた。

他者の嫌なところを感じたら私がそうならないようにしようと学ぶ。
私は学習能力がない。
何年もブログを書き続けていたのになぜやめたんだった?
無人島にでも住まない限り他者の考えも声も見ない聞こえない...は
無理だ。

どれだけ知識があっても生活の知恵があってもどれだけお金があっても
その人にとっての幸せが何かは本人しかわからない。


親孝行

若い頃、ご年配の人の話す内容がとにかく愚痴っぽくて
人をコテンパンにやっつける機関銃のような声が大嫌いだった。

でね。
今私があの「ご年配」の年齢になってきたわけですね。
白か黒か、好きか嫌いか、正誤を自分基準で相手にぶつける。
私は誰とも話さずじっとただ部屋の中にいるので
誰かに機関銃を向けること(チャンス)が無いわけです。

でも若い頃にはわからなかったことが
少しずつだけど何となく理解できるようになった事もある。


2パターンあると思う。

すご〜く時間がスローに流れてるご老人の話し方。
すご〜く何かに急かされて機関銃の如く話そうとする方。

年代を問わず、他者の話を最後まで聞けない人っている。
話をしてる途中でいつのまにか、その人の話にすり替わっていたり。

私ね、今更だけど反省することがいっぱいあります。
私にとって娘は唯一、機関銃で話せた相手だったんだと思う。
他人とは話を聴く側でいつもいたのにね。

「あのね、それでね、今日ね」
機関銃のママと1時間もいれば娘は疲れただろうな。
娘にとって私はたまに機関銃トークを出来る相手だったかもしれない。

でも、母娘で違いがある。
私は頭に浮かんだ事、以前から思っていた事を真っ直ぐに投げてしまう。
娘は、話す事をよく考えていて目の前の人を気遣ってから話す。

だから、普段怒らない、本音を100%出さない娘が
私と絶縁すると言った言葉は
悲しい言葉だけど、そのひと言を言う為の心はどれだけしんどかっただろうか。

幼い頃からいつも背伸びをさせてしまうばかりで
我慢に我慢ばかりで、言葉どおり母ひとり子一人だったから
寂しい、辛い。そんな時間が沢山あったと思う。
なにしろ、頼りない母親だから。
今の言葉で言うと一時はヤングケアラーの時間だったと思う。

私は親として本当に未熟でとにかく毎日が必死だった。
余裕の無い親だけど娘をとにかく大人になるまで育てないと。
一人でも生きていけるように育てないと。
そんな思いだけでした。
育てて貰ってるのは私だったのに。

今思えば、あの時こうすれば良かった。
あの頃はこう言ってあげれば良かった。
こう接したら良かった。
何であんな事を言ったんだろう?
何であんなことをしちゃったんだろう?

でも、幸いな事に娘はしっかりとした自立した大人になって自分の足で
ちゃんと立って前を見て歩んでくれてる。
目に見えないけど彼女の幼稚な面と背伸びした面はいつも共存していたから
何歳になっても他人に見せずに頑張ってるんだろうな、そんな想像をしてる。

ドラマに出てくるような何でも一生懸命で丁寧に生きる母親像は
娘にとって永遠の憧れだったと思う。
「仕事で疲れているなら無理しなくていいよ」っていつも言うような子供だった。
毎日炊事と家事をしてと言った事も大人になってから責められたこともない。

「ママの子供で本当に良かったと思ってる」そう言って絶縁になった。
おそらく他人が聞いたら「え?じゃあ何で?」って思われるかもしれない。

私は娘が言うことや願う事を出来なかった。
その私と接することに疲れ切ったのだと理解してる。
娘はお互いの考え方が違うから誰も悪くないと言った。

連絡がないという事は生きてるという事だから、私は幸せな母親だと断言できる。
親より先にこの世?から消えるのが親不孝だと言うなら
娘は親孝行な子だ。
このまま。
どうかこのままこの親孝行が続きますように。

寂しいし孤独だけど沢山の想い出を栄養にして
チビチビと味わいながらただ生きる事だけに専念してる。

 

精神神経科


私は働いていません。
それなのに週末がくると心のどこかでホッとします。
仕事をしている訳でもないのに堂々と休める感覚(錯覚)があるから。

唯一遠くまで行く月に1度の通院が嫌だなと思うようになったきっかけがありました。

私は精神神経科に通院しています。
一般的な社会の人が最も関わりたくない面倒な方々が通院する場所。
そう思う人が大半です。


今の担当のドクターはとても温かみのある方です。
大学病院なので、不定期に担当医が変わってしまう経験が2回ありました。
今のドクターになってからも私はきちんと予約の日に行けませんでした。

解りづらいと思いますが、必死で準備をして玄関まで行き
ドアを開けた瞬間に、吐き気がして再び部屋へ戻ってしまう事があります。
玄関を出て地下鉄にも乗れた。
さあ、もうすぐ病院の最寄駅だ。
そんなすぐ手前で過呼吸が起きて次の駅で降りる。
ホームで座り込んでしまうわけです。

心身の状態が酷くなってから、
家から通院先の病院まで1度も地下鉄を降りずに到着したことがありません。
面倒でしょ?
周囲の人が声をかけて下さる事はほぼありません。
とても良い人は車内でボタンを押し車掌さん?に連絡してくださる方がいます。

ホームでの息が出来なくなって座り込んでのたうちまわっていると、
駅員さんを呼びに行って下さって
車椅子で駅務室?に運ばれるか
救急車を呼んで下さったりして病院で処置をしてもらって帰宅する。
そんな事を数えきれないほど経験しています。

やっとの思いで病院へ到着出来たある日の出来事。
精神科とは別の科でも診察を受けたいという日がありました。
受付で申請をしたら、事務の人がなぜか看護師さんを呼びました。
過去にこの病院で頂いた薬があってその時と同じ症状なので
診察を受けたいと申し出たからです。
まだ仕事に慣れていなさそうな事務員でした。

そこへ来たのが、
現役看護師を引退して相談係看護師らしき人。
私と同世代だろうと思われる看護師さんが来ました。

「どうしました?」笑顔1つなく無言の圧で面倒臭そうに聞かれました。
症状と事情を話しました。
私の過去のデータが全て入ってるシステム画面を見始めました。
慣れない手つきでマウスをカチカチ.....

画面を見たまま.....
「精神科に通院中か.....」
「あなたが言う薬が出たことはありませんけどね」と小馬鹿にした笑いで言いました。
「ここは大学病院ですよ?ちょっとした痛みなら家の近くの病院へ行ったら?」
「水分沢山のんでる?」「水分が足りないんじゃない?」
「同じ薬を先生が出すかわかりませんよ?」
「きっと気のせいでしょ?」
「どうしても診てほしいんだったらしょうがないけど」

「端に寄って待って」

私、あなたの友達でしたか?と言いたくなるような
偉そうに言われっぱなしの会話でした。

その看護師はカルテに私とのやりとりを書き込み始めました。
言ったもん勝ちという根性が丸見えでした。

精神科に通院してると言葉の端々から偏見の入った言葉を投げられて
こういう悔しい思いを何度もします。
そして、診察を受けてみると。
血尿があり腎盂炎になりかけてると言われました。
その医師も受付にいた初老看護師と変わらない態度だったので酸欠で
手足は冷たくなり気絶しそうでした。
そもそも......
看護師の判断で治療に関することや薬の話を患者にすることは明らかに許せません。
病院に行って具合が悪くなるってやっぱり辛いです。

そのあとで精神科へ行ったのですが、担当医の日ではなかったので
見ず知らずのドクターに薬だけ処方をしてもらう間、ずっと涙が止まりませんでした。
薬を処方してもらい院外薬局で薬を受け取ってまっすぐ帰宅しましたが
早朝から行って帰宅できたのは夕方でした。
あの日の事が今でも通院の予約日の前になると思い出してしまいます。

転院を考えて何度もトライしようとしました。
今だに転院を考えています。(転院の為の診断書もあるのに.....)
でも知らない場所へ行く心構えとか勇気とか公的な手続きを全て変更しなくてはいけない事、色々な人と話さなくてはいけないこと。
あれもこれも考えて転院できずにいます。

自分を扱う事が何よりも面倒でストレスです。
いざ、転院を考えて病院へ行こうとするとどんな人達と関わるのかな。
そんな意味の無い予期不安が始まります。

以前は何でも無かった事でも涙が出て
自分の身がいくつもあるみたいな感覚になったり自分の心身を全く感じなくなったり。
こうやって文字にしてみるとわかります。
面倒臭いな、私って。

自律神経も脳も体も毎日お疲れ様状態です。
ただね、今の私は生きる為に想いを書き続けてみる。
唯一行動に移せた出来事。
と、言ってもまだ数回だけだけど。

楽しい話もなく誰かの為になる話もなく完結にも書けず。
ただ.....想いを小学生の日記のように書く。
「日記ならメモにでも書いたらいい。」

以前、ブログについてアドバイスされたその言葉は今でも忘れていません。
そのとおりだと理解と納得ができたからです。


ただ、今の私の知らない人が見る(かも?)が少し必要な気がしたようです。
生きてるという感覚を確認する為。


20分だけ書いたから今度こそ寝る

今日は早く寝るとこだわって気持ちを楽にしてベッドに入り
真っ暗にすると眠れないので小粒のライトを離れた場所においてあって
いつもどおりつけたまま羊も数えず.....スマホをoffにして。

眠れそうだ!というタイミングが全くやってこない。
何なら必死で目を瞑ろうとするあまり目に力が入ってリラックスどころじゃない。

今日の想いを書いてみる事にした。
シンプルに考えて深夜3時は寝ていなくちゃ。
働いてる方もいらっしゃるだろうけど、私は明るくなると起きて暗くなったら眠って
そんな毎日をおくるべきなんだよねってわかってる。


でね。


今日の想いで心残りはね。コレ。

news.yahoo.co.jp
この3年間、韓国の事を色々知る事になって
日本と比較できないほど、習慣も考え方も風習も違う。
似てるところもある。お箸を持ってご飯を食べるとか。
漢字が元々あったとか。
でも政治的な事は想像を絶する。

サッカーで負けて刑務所に行けと言われる国ってどう?
大麻で死刑になる国もあるのだから
正誤は判断できない。

日本の感覚から言えば、えー?!って思う事が沢山他にも韓国にはある。
生まれた時から韓国で育った人達ですら、最近の若い方々は
自分達の国が少しおかしくない?と思う人が増えてきた事は確か。
ただ、純粋に思った事を口にしたりこうやってブログに書いたり
動画に出来ない国だという事がわかってからは、大変な政治国なんだと
心から思った。
近いけど遠い国の話みたいに感じる。


負けて帰国した韓国のサッカーチームは石や卵を投げられるそんな扱いで

空港を歩いておられた。
「残念だったよね。お疲れ様でした。」は言いたくても言えない空気だった。

韓国のKpopアイドルを追いかけて行き、日本人が韓国のコスメを大量に買い込む。
日本語を話せる韓国の方々も増えた。
それでも日本人を毛嫌いする人達は想像以上に多い。
20代30代は日本のアニメやゲームなどで日本を好きになる人がいるけど
私と同じ50代だと日本に対する見方は厳しいかもしれません。

日本で韓国との歴史を習うのはほんのわずかな時間とページだったような記憶。
今の教科書ではどうなんだろう?
テレビやネットを見れば歴史は見れる。
それでも体験した事のない歴史だ。

私は子供の頃に数年だけ京都で暮らしていた事がある。
その時に見た朝鮮、韓国の人達が実際に暮らしている家のある場所を
1人で歩くな危険と言われていた時代があった。

家と言っても川沿いにある拾い集めた木やテントで作ったような家が
ずらっと並んで立ってる。
そこには住所が無い。
電気も勝手に使うかキャンプで使うようなバッテリーで料理を作ってると聞いた。

あの方々のスタートはどんなに大変で苦痛だっただろう?
もう今はその場所に家はなくなったんだ。
京都駅周辺や南の方へ行くと開発されてビルや家が立ち並んでいるけれど、
昔から京都で暮らしている人達はどこは朝鮮韓国の街かをずっと言う。

世界中から飛行機に乗って韓国へ行って大量に物を買い込む人達は
そんな現実が日本であったという歴史をどう受け取っているのだろう?
昔の事だから私達は関係ない。
そんな軽い気持ちかもしれない。

日本で生まれて日本で育っても国へ帰れと言われる人が日本にはいる。
病気を治すために日本の保険を使い治療する為に健康なふりをして日本へ
入国する人とは事情が全く違う。

いや、話が少し逸れました.....

サッカーの選手も監督も一生懸命やってた事は外国人の私は見ました。
12日には2-1で勝った時、大喜びしていたではないですか!!
どんなスポーツもそうだけど、
汗をいっぱいかいてヘトヘトになるまで練習をして
メンタルを保つために努力をしてる。

負けたら解雇とか国から出ていけとか刑務所へ行けと言われてしまう現実のある韓国。
国が背負ってるのではなくて国を背負ってるサッカー選手達は命懸け。
家族、親戚達もきっと辛いと思う。

韓国には兵役というものが義務としてあるけど、
確かにサッカー選手は免除されると聞いた事がある。
野球もかな?
中には中断していく人もいると思うけど、
毎日、韓国のどこかで兵役に行く若い子達がいる事を知ってほしい。
大学へ入学してすぐ兵役に行くって人生は悲しすぎる。
何歳までに兵役に行かなくてはいけないのを人生の中でカウントしながら生きてる。

日本では想像できない。
想像できない事は幸せな事なのだと噛み締めてる。
広い世界の中には戦地がある事。
さっきまで家族と居た部屋が崩れてしまう事が現実にこの世界のどこかの国で
起きてること。

理想はそんな事がゼロになること。
ただ、生まれた時から、何もかも考え方も習慣も風習も違う国に
日本を当てはめて考えられない、考えてはいけない事があると私は思ってる。
日本でお寺のお坊さんを教会の牧師さんが自爆テロで無差別殺人をした事件を
日本の歴史で聞いたことがない。

お坊さんが自分の子供にクリスマスにはプレゼントをあげたりケーキを食べるという家の話をかぞれきれないほど聞いた事がある。
それが日本。
日本は宗教で戦争が起きない。

だから、他国の宗教戦争をやめろと言う感覚は基礎から考え方が違うと私は考えてる。
人を殺して良いルールはどこの国もない。
でもそのもっと奥深いところに違う思いがあると頭におかなくてはいけない。
牛や豚を食べる日本はどう思われる?
そんなレベル。


話がぶっ飛ぶんだけど.....
私は自分のルールや意見を言える人は信用できるけど、
それを他者にもあてはめようとする人は信用できない。